坂本和正の考え方 -Keyword-

“コリント風”な現在

“コリント風”な現在

近ごろの若者たちは、女性ばかりか男までも何かにつけて「かわいい」という感嘆句を連発する。「かわいい」とは本来、「可愛い」であり、無邪気な子供が可愛いとか、動物が可愛いという感情を表す言いまわしであった。また、時には可愛い鶏の卵という風に小さな物を指して言う形容詞でもあった。それが今では、椅子のデザインのディスカッションをする時でも、のっけから「この案はかわいい」などとやられるものだから、しばし、がっくりきてしまうのである。風俗語というのは取るに足らないものと思いがちだが、意外とその時代の顔を象徴しているのである。「かわいい」より前は「ナウい」であり、その前は「かっこいい」であった。

ところで、この「かわいい」という言い方は、考えようによっては現在の人心がいかにやわであるかを如実に表してはいないだろうか。ギリシャの建築様式が、草創期の力強いドーリア式、完成度を誇るイオニア式、爛熟に流れるコリント式へと変化していったことに例えれば、「かわいい」はまさにコリント文化である。「おしゃれ」もまた同類である。
西洋のゴシックからバロックを経て、趣味のみが取りえのロココ、中国の宋から明、清への変遷、日本の豪壮な安土桃山から、江戸・元禄時代の奢侈的な気風にいたるまで、どれをとっても動揺のことがあてはまりそうである。造形美のありさまもまた、流行語の完成と同様にその時代を象徴し、やがて終焉し、次の時代となるのである。
「かわいい」などとうかれていられるのはつかの間のことで、あと八年余りの二十一世紀に、本当は何が来るのかデザイナーも心しておかなければなるまい。

産経新聞_1991年8月~1992年1月
デザイン人類学