職人的な技術の蘇生
EC統合に関するニュースが連日盛んである。海の向こうの本当の裏事情にいまひとつ実感が乏しい私達は、そんなにうまくいくのだろうか、などと考えてしまう。しかし、もう少し掘り下げてみれば、その発端は政治的友好もさることながら、根本は全ヨーロッパが今後いかに生き延びていくかの苦渋の末の策なのだということが良く分かるはずだ。
ところでECと聞くと、デザインという職業柄か、なぜかドイツのゾーリンゲンの刃物の街のことが思い浮かぶのである。今はどのようになっているか正確には知らないが、マイスター的な職制が脈々と二十世紀後半まで生き続け、それが世界に誇る刃物の質を支えてきたことだけは確かである。
いうまでもなく、二十世紀はアメリカ的な産業構造が世界をリードした時代である。そこでは、職人的な技術は高度な機械化によって淘汰され、新しく生み出される価値のみが天井知らずの発展と可能性を保証しているかみ見えた。半面、ヨーロッパは保守的で遅れをとったような言い方がされてきたのである。
しかし、その保守的な気質が、今となれば職人的な仕事の質を温存してきたのだともいえる。そしてそのことが、数年前から皮製品や染色布地が急に売れ出して貿易が好調となったイタリアのような現象を起こしはじめたのである。やはり、機械が作る先進的な美のみでは世界を凌駕することはできなかったということなのか。
デザインや建築は、産業と密接な関係にある。ECの構造が首尾良く展開すれば、温存されていた職人的な技術と質が現代的に蘇生し、デザインもそれにつれた発想転換に向かうにではないか、と期待されるのであるが、どんなものだろうか。
産経新聞_1991年8月~1992年1月
デザイン人類学