坂本和正の考え方 -Keyword-

カイロムシ

腰掛ける習惧は定着したが、
果たして椅子を本当に自分たちのものにしているだろうか。

日本人の暮らしと椅子

日本人が日常の住まいに椅了を取り入れたのは思いのほか時が浅く、ここ半世紀ほど前からのことである。ではそれまでは、といえば畳に座る生活がほとんどであった昔の住空間になぜ椅子が発達しなかったのかについてはいろいろ理由があるだろうが、ひとつ確実にいえることは障子や襖といった解放的な建貝に関係があリそうである。鴨居から床までの高さの引戸を開けると、西洋建築では考えられないほど大きな閣口部が得られる。畳の水平面はそのまま縁側へ連なりさらに庭先へと消えてゆく。このような風通しの良い広びろとした室内で物量感のあるテーブルやソファーは不釣り合いなものであったにちがいない。
今の20代の若者はほとんど正座できない。椅子に腰かける生活の晋及は、事実日本人の体形まで変えつつある。だが、こうした現象を時代の必然的な変化としてただ漫然と受けとめているだけで良いのだろうか。椅子に腰かける習慣が定着したとはいえ、私たちは椅子を本当に自分たちのものにしているだろうか。私にはそうは思えないのである。なぜならば普段人びとが椅子やテーブルを選ぶ様子を見ていると、おおむねクラッシックとかモダンとか、トロピカルといった具合に様式やスタイルの好みで決めているからである。そのこと自体は別に悪いことではないが、さらに見かたを一歩踏み込んで自分や家族の生活にふさわしい座り心地かどうかも考えてもらいたいのである。なぜならば椅子や机は毎日体に触れるものであり、衣服や装身具のようにその日の気分で自在に取り替えにくいものだからなのである。

オーダーメイドの家具

こうした考え方を基本にしているせいか私の家具デザインは、いきおい特注家具へ傾いてしまう。一般に、椅子やテーブルや棚などを手に入れるにはデパートとか家具専門店しかないと思われていて家具の特別注文というやり方はあまり知られていない。豊富な商品の中から自分の好みの家貝を選ぶのも簡便な方法であろうが本当に自分の生活を大切にしようとすれば、オーダーメイドの家具を注文するのも一考に値する。人は自分の部屋の中では勝手気ままな動作をする。書き物をしたり食事をする時は正しい姿勢が良いにきまっているが、リラックスして足をなげだしたり、寝ころがってぼんやりしたりもする。だから椅子は室内のアクセサリーとしてだけでなく、人の我がままな気分にも対応してくれるものが望ましいのである。従って私は、注文主の希望を聞き、使われ方について考え、それらを家具のデザインに反映させることから始めるようにしている。これまで数多くの注文家具を手がけてきたが、ここではその中でも特異な例をふたつほど紹介しよう。

「高座椅子」と「カイロムシ」

ある住宅のダイニングルームの家具を頼まれたとき、前もってその家族がどんな暮らし方をしているかの簡単なヒアリングをした。いろいろな話のなかで、そこのおばあちゃんはどんな椅子にでも上に乗って正座してしまうというやっかいなことが判明した。一緒に食事する夫婦やお孫さんたちはもちろん腰かける椅子を望んでいる。そこで、そのおばあちゃんのために腰かけの高さに畳が敷いてあり正座できる椅子を思いついた。それによって椅子座でも床座でも同じテーブルを囲めるようしたのである。「高座椅子」と名付けられたこの椅子は、一家団らんの中で大いに威力を発揮し、喜ばれている。
それとは別に、いまひとつ徹底的に個人の身体に合わせるデザインをした椅子がある。80オを過ぎて今だかくしゃくとしたY氏ではあるが、お年には勝てず首すじが凝リやすい。ご本人のたっての希望でツボに当たる心地良い埼子を作ってほしいと頼まれた。こうした個人的要望は、洋服をオーダーメイドで仕立てるときの仮縫いに匹敵するようなことをしなければならない。従って、一個の椅子のためにもう一個の試作品を作らなければならないはめとなった。しかし、試作することによって本人に座ったり寄り掛かったりしてもらい、ああでもないこうでもないとツボを探したおかげで本人の体に最もフィットするものができ上がった。「カイロムシ」と名付けたこの椅子でY氏はすこぶる満足げの毎日である。

時代の潜在的要請に応える

私たち日本人は、ここ100年余り近代化をおし進めるために旧式なものを捨て、新しいものを獲得することにばかり心を奪われてきたように思う。それはそれなりに私たちの生活を豊かにした事実はだれしも認めるところであるが、今となってはそんな単純な価値転換を繰返しているだけでは生活感情はいっこうに充足しない。これからはじっくリと生活を築く意識を人々のあいだに育てていかなければならない。特別注文の家具はそうした特代の潜在的要請にいみじくも答えつつあるのである。

ファミリーサークルニュース 1992年11月
坂本和正作品集 -I・椅子