坂本和正の考え方 -Keyword-

子供に優しい

なぜ教室家具は優しくないのか

子供たちに優しい教室家具というからには、今の家具のどこが優しくないかを考えてみる必要があるだろう。現在の教室風景を授業参観やテレビ映像で見る限り、一般的には何不足ない教室だと思える。しかし、そこにある学習机と椅子の群を、今一度デザインというフィルターで見てみると、様々な不満が読みとれるのである。
たとえば、机の表面に貼られた合成樹脂化粧板は、勉強のために効果的だから採用されたのではなくて、明らかに傷が付きにくく汚れにくいという管理上の理由からである。椅子を構成する金属パイプの曲げ方や組立て方は、価格を一番安くするためには、これしか仕方ないと言わんばかりの貧弱なデザインである。こうした、デザインや材質、使い勝手を無視した低い品質の故に、壊れたら捨ててしまい、新しいものを補充するだけで、直して使うなどということは考えもしない。愛着のない席に子供は自分の居場所を発見できない。今の学校家具が優しくないのは、こうした工業規格むき出しの形態が、造形の表情として子供たちに何ひとつ語りかけていないというところにありそうである。

日常的に美意識を育むデザインを

子供は一日の生活のうちの約五分の一を教室の中で過ごしていると思う。成長期の感受性豊かな時期の彼らを取り巻く空間環境はきわめて重要である。日常の教室の家具のかたちは、そこで行われる教育の方針や、教師の指導内容のいかんにかかわらず、潜在的に美的影響を与えているのである。だからこそ、教室の家具は、あるレベル以上のデザインがなされていなければならない。ただし、ここで言わんとするデザインとは、車や家電製品に見られる華やかな商品スタイルのことではない。子供たちとの関わりにおいて適切なデザインかどうかということなのである。もし、子供たちにとって優しい家具があるとすれば、それは、デザイナーや製造者が物に心を通わせようと努力した跡があるかどうかにかかっている。最近、木製の家具が見直されつつあるのは、木目の肌あいもさることながら細かい部分にやわらかい表情のディテールがつけやすいからである。優れた家具とは、たとえそれが簡素なものであっても、精緻な気配が備わっているものである。言い換えれば、人と物との間の充実感がそこには存在するのである。
子供たちが、身のまわりの家具に無意識にでも共感を覚えるように工夫することが教室家具のデザインのかなめだと思う。教室の家具は、子供たちにとって単なる学校の備品であってはならない。先輩の使ったものを引きつぎ、大切に使い、後輩に残していくような気持ちになれる家具でありたい。良いデザインがなされたものを与えることは、彼等が、将来大人になった時の美意識さえも左右するのである。
子供たちに優しい家具とは、大人の感じる本物志向のデザインが備わったものだといえる。子供向けにと考えをひねりすぎたデザインは、子供の美意識のレベルをかえって下げてしまう。子供に料理の味を覚えさせるには、大人が美味しいと思う料理を食べさせるにこしたことはないというのに似ている。子供が喜ぶからといって、子供に媚びたお子様ランチにしてしまってはならない。

バランス感覚に富んだ環境が課題

教室の家具をデザインするデザイナーは、これからは、教育の方法についてもっと注視しなければならない。昔は「教鞭をとる」と言って、文字通り鞭をふるうがごとく教え込んだ。四角い机が整然と並んだ教室は、それにふさわしいものであった。一方、近年では子供ののびのびとした発露ということが重視されて、教室にやわらかさを求める傾向が台頭してきている。今は、これら相対する考え方が、互いに自論を主張し合って譲り合おうとしない。しかし、私は小中学校教育においては、両方共必要ではないかと思うのである。
物事の基本を習得させるには、ある程度一方的な教え方の方が効果的であるし、応用を展開させ拡大させるには、制約をゆるやかにして自由に発想させたら良いと考えるからである。従って、ひとつの校舎の中に硬い雰囲気の教室もあり、やわらかな教室もあるといった設計が考えられる。そして、家具は幾何学的で身を正すようなものから、曲線的でゆったりしたものまでを、それぞれに使い分ける。
こうした形態の心理学の応用を、教育の現場のあり方に照らし合わせて具体的にデザインすることこそ、これまで欠落していた学校家具の考え方への課題であるといえよう。

教育と施設 1992年 冬号
子供たちに優しい家具