坂本和正の考え方 -Keyword-

豊かなかたちの家具をめざして

純白で単純な形のテーブル、均一で存在感を自己規制した椅子、生活の匂いを拭きとってしまった部屋、このように活力に欠けるインテリアはいつ頃から好まれるようになったのだろうか。環境の近代化をもくろむデザイナーや建築家の造形感覚はやがてストイックな倫理観にまで普遍化した。私たちは、社会生活のモダンで快適な空間とはそのようなものだと思いこんでいるふしがある。

一方市場においては、売れるものは何でもということでアンチークからエキゾチックまで、そしてなにやらわけのわからない幼児玩具的趣向のインダストリアルデザインが花ざかりである。めまぐるしく化粧を変える商業施設が唯一の快楽なのだ。しかしこうした事実は情報の枠と共存する買う側にも問題があり、一概に売る側のみが責められるものでもあるまい。むしろこのような社会現象は、生産者と使う側との双方に多様化という事体を引き起しているとみるべきであり、やがて人の心とかたちというテーマを扱わざるを得なくなるとすると、今後のデザインはそう簡単にはいかない場面にぶつかるだろう。

多様化ということは、単に造形表現のバラエティーということではすまされない。それは物を造る生産の方式と深くかかわっている。現在日本で大流行のアメリカ西海岸風のプレファブ住宅も、どことなくぺらぺらした感をまぬがれないのは、形態のデイテールが生産効率に都合の良いように改ざんされているからだと思う。日本の産業経済はただやみくもにつっ走ってきたために、過去の技術というものを大部分捨て去ってしまった。ここで困るのは、技術というものは子から孫ヘと伝承されるものであり、一旦跡切れると消滅してしまうことである。技術の中の勘というものは文献やフロッピーの記号にはなり得ない性格を持っている。

先般西ドイツのメーカーに鋳造品を発注したが、裏山の粘土で昔ながらの型をつくつているという。あのような高度技術を持つ国が昔の技術を温存しているのには感心した。さらに、日本が輸入しているイタリアの手漉きの紙がよく売れるので追加注文したところ、小量生産良質をモットーとしているのでこれ以上送れないといってきたという話も聞いた。このように、ヨーロッパでは工業化の中で過去の技術も適材適所に生かしているのである。さて日本ではどうか。地場産業対策とか無形文化財などというポーズしかなく、現代の産業の中に積極的に組込もうとはしない。ハイテクそしてやがて来るべき宇宙開発などに気もそぞろなのである。

家具というのは建築よりも身近で触覚的であるのはいうまでもない。一律でない多様な表現も求められる。平坦でないデイテールのしつかりした家具を造るためには、言いかえれば多様な表現をするためには、現代の高度な技術も使うが、過去の技術も合わせて必要なのである。このことは、民芸という風味の問題にとどまるものではない。プリミティブアートには、インカの石造彫刻、アフリカ原住民の日用品そしてわが国の縄文土器に見られるような力強さがあり、一概に文明文化の所産とかたづけられない豊かさを今の世にも語りかけている。
現代の人びとが物質欲と引換えにおざなりにしてきた造形の力強さ、豊かさを現代のインテリアデザインに複権させたい。またそのような表現に向けて努力したい。多様な表現、特にそのデイテールを実現するためには、過去の技法も含めた多様な生産手段が産業の中に生きつづけなければならない。私がデザイン室のほかに工房も併設しているのはその一端を試みようとしているからである。

WACOA 1989年9月